日常生活での知恵

「仕合せ」って?(『生きさせて生きる』雑賀正晃著 百華苑刊より)

「仕合せ」。
なんていい言葉なんだろうと思います。

「仕え合う」ことです。仕えあうとは相手の身になりあう事です。それが本当の「しあわせ」なのです。
とすれば、仕える相手がいてくれるということが何よりありがたいことなのではありませんか。

「あいつさえいなければ」
と憎みます。あまつさえ、
「早く死んでくれればいいのに」
とまでうらみます。

でも、その相手がいてくれればこそ「仕合せ」があるのであって、
私一人になってしまったら、もう「仕合せ」」はどこにもないのだという事を
考えたことがおありでしょうか。

「仕え合う」ためには、どうしても相手が要るのです。
 

『必ず救う!』のアミダさまが来て下さっている

浄土真宗で大切にするお経は、『仏説無量寿経』です。

そのお経には、
「法蔵という菩薩が"すべての者を必ず救う"とお誓いになって、とても長い間ご修行されて、阿弥陀仏になられた」
と説かれています。

ですから、お坊さんは、「アミダさまが『必ず救う』と私のところに動きでて下さっている」と、
お話しなさるのです。

しかし、お坊さんが丁寧にお伝えしなかったのか、聞く方が聞き間違えをされたのか、
  「必ず救う」というところを聞いて、
「アミダさまは経済的に救ってくれませんよね。」
というおっしゃるお方がおられます。

結論を先に申しますと、
アミダさまは、経済的に救うという仏さまではありません。
では、どんな仏さまなのでしょうか。


 私が宝くじで1億円当たったとします。
   きっと、ローンの返済できる!家族旅行できる!などと大喜びすることでしょう。
   そして、喜び勇んで換金に行きます。
   お金を目にした私は、
   
   このお金、盗まれはしないだろうか?
   この大金をどうやって管理しようか?
   
   などと悩み、
   お金のことが気になって、
   夜、一睡もできなくなるでしょう。
   外出することさえできなくなるかもしれません。
   1億円が当たれば経済的に豊かになりまが、新しい悩みに苦しめられることになる。
   
   
   今度は、一緒に宝くじを買いに行ったお友達だけが当たったとします。
   素直に喜べますかねぇ〜。
   心中穏やかに過ごせますかね〜。
   お友達に上辺では「おめでとう」と言いながら、自分の心はどう動いているでしょうか。
   「あの人の後に買えばあたったのに〜」などと、苦しみ悩みが出てまいります。
   
   
   経済的に豊かにばれば、今までなかった苦しみ悩みが生じます。
   経済的に貧しくても、苦しみ悩みがあります。
   どちらにしても苦しみ悩みは私たちから離れることがない。
   
   
   苦しみ悩みから離れることができない私たちを、アミダさまはご覧になった。
   たから、
   
   必ずあなたの苦しみ悩みを除いてやる!
   必ずあなたを苦しみ悩みから開放させてやる!
   と、動いて下さっているのがアミダさまなのです。
   
   「経済的に助けてやる」という仏さまがいるとしたら、それは本当の仏さまではありません。
   
   本当の仏さまは、私の苦悩を除いてくださるお方です。

合掌する心

猫は手に鋭い爪を持っていて、ネズミを捕らえたり魚をつかんだりするが、合掌することはない。
サルは立って歩くこともできるし、両手を自由に使って枝から枝へ渡ってあるいたり、柿でもミカンでもにぎることはできるが、合掌することは知らぬ。
合掌するということは人間だけの持っている姿である。

合掌は本能ではないから、生まれつき持っている性質ではない。
それは心の中の姿が形の上の姿となってあらわれるものであるから、自覚のはたらきである。
自覚のはたらきは動物にはない。

人間の自覚の上からあらわれでるのが合掌である。
だから合掌するということは人間のこころの底から生まれでる、もっとも味わい深い行いであるといわねばならない。
(『佛を拝む手』岩見 護 著より)

お念珠を持とう

ご法事のとき、お念珠を持たないまま手を合わせるお方をよく見かけます。

そもそも、お念珠(数珠)は仏様に手を合わすときに欠かせない道具(法具)です。
ぜひ、ご自分用のお念珠をご用意しましょう。仏具屋さんに行ってお気に入りのお念珠を買って下さいね。

浄土真宗では、男性は単念珠(一輪)、女性は女性用単念珠または二連珠(二輪)を薦めています。

<お念珠の扱い方>
お仏事中は左手で持ち、手を合わすときはお念珠の輪の中に両手を通して手を合わせます。
お念珠は大切な法具ですから、使わない時は念珠袋などにしまいましょう。
お念珠の紐が切れた場合は、仏具屋さんで直してもらいましょう。

お香について

お香を仏さまにお供えするということは、あたりを清らかにして仏さまをもてなすという意味と、同時にその香りが仏さまの徳となって、人の心に染み付いていくことを表しています。
ですから出来るだけ良質なお香を用いたいものです。

お香には、代表的ものとして伽羅(キャラ)、沈香(ジンコウ)、白檀(ビャクダン)などがあります。 一度、お仏壇屋さん、お香専門店などを訪ねてみてください。必ず気に入るお香があるはずです。

お香は、部屋の芳香剤としても利用できます。
また「匂い袋」にしてタンスやカバンの中に入れてもいいですね。

大安?友引?

カレンダーには、「先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口」という六曜という暦が書かれてあるものもあります。
そして、「友引に葬式をしてはいけない」、「仏滅の結婚式はダメ」、「結婚などのお祝い事は大安にする」などと昔から言い伝えられてきました。(この六曜が普及したのは明治以降)

この六曜、実は迷信です。
かの吉田兼好、福沢諭吉も否定されたそうですよ。もちろん、お釈迦様も、親鸞聖人も日に善し悪しはないと否定されております。

仏滅の「仏」は当て字ですし、友引は中国語の「留引」を「ゆういん」と読むことがルーツです。
仏教には「日々是好日」というお言葉があります。
古い暦に惑わされない道を歩ませていただきましょう。

四国八十八ヶ所霊場について

ご法事でお参りさせていただくと、床の間に四国八十八カ所と高野山奥の院を巡拝して表装してもらった「納経軸」を掛けておられるお家や、お仏壇の中に「納経帳」やお札をお飾りされているお家があります。

八十八カ所は仏教のお寺ですが、教えは浄土真宗とかなり異なっています。ここだけはしっかり覚えていて下さいね。

四国では、バス会社や旅行代理店が四国88箇所巡礼のツアーが企画されていたり、知人・友人のお誘いもあるでしょうから、「真言宗のお寺だから、行ってはいけません」とは言いません。
もしお参りされたとしても「納経軸」、「納経帳」、「お札」などは求める必要はないでしょう。ただ仏教徒として「お念珠(数珠)」だけは持参して下さいね。

弘法大師は、「空海の 心の内に咲く花は 弥陀より他に 知る人ぞなし」という和歌を詠まれました。また足摺岬で岩肌に爪で「南無阿弥陀仏」と刻んだという伝説があります。
弘法大師(空海)は、 「南無阿弥陀仏」をとても大事にされたようです。
ですから、八十八カ所のお寺にお参りされても「南無大師遍照金剛」でなく、「南無阿弥陀仏」とお念仏いたしましょう。

声を大にして言いたいのは、
一生に一度は、本願寺(西本願寺)にお参りしましょう!
ということです。

皆さん健康ですか?

最近テレビをつけると、よく「健康食品」のCMが流れます。また、本屋さんに行ったら「健康」に関する書籍が並んでいます。
誰もが「健康」でいたいのです。
または、少しでも痛みを和らげたいのでしょう。

以前、「健康」という言葉は「健体康心」の略したものだと教えてもらいました。
  健体・・・すこやかな心
  康心・・・康らかな心

私たちは「健体」ばかりを求めて、「康心」の方を軽んじてはいないでしょうか?
お寺で、仏様の教えを聞かせてもらうことには「康心」に繋がると思います。
手近にある仏教書(浄土真宗の教え)を読んでみるのもいいと思います。


先人の方が詠まれました。
  みほとけに いだかるる 身のしあわせは
  くる日くる日が みな良き日なり
と。

味わってみてください。
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